大東亜戦争が終わった翌年、1946年(民国35年)、いつものように漁をしてた地元漁師の投網に一体の頭蓋骨がかかりました。
「郭府千歳」の時と同じように、この漁師は住民らと共に、保安堂の前身となる祠にこの頭蓋骨を祀ることにしました。そして「海府尊神」の御神名が与えられました。
不思議なことに祀られて以降、紅毛港では大漁が毎日のように続き、稲も豊作、畜産産業も活気づき、住民は「海府尊神」のご霊験ではないかと感じ、町全体が更に篤く崇拝するようになりました。
そして資金を住民が出しあい、1953年(民国42年)、保安堂が祠の上に建立されました。