海府大元帥 第三十八号軍艦

保安堂が完成し、紅毛港において台湾らしからぬその独特な様相と、五穀豊穣、大漁追福の霊験あらたかな道観として広く知られるようになり、毎年執り行われる大祭には、台湾全土から多くの参拝客が訪れるようになりました。

1990年(民國79年)、恒例祭がいつものように保安堂で執り行われていました。
多くの善男善女が参拝に訪れ、大変にぎやかなお祭でした。
また多くの童乩(タンキー)が集い、神々の声を人々に伝えていました。

その時、大きな奇跡が起こります。

一人の童乩が、突然、不可解な言語を大声で発したのです。

周囲の人々は、はじめ何を言ってるのか理解できず混乱しましたが、日本語世代の長老たちがそれを懐かしい日本語だと理解し、童乩に降りた神様と会話することができました(童乩はむろん、日本語なぞ知りません)。

その降りた神様は「海府尊神」でした。そして当時の記録によれば、このような託宣が下されました…

「私は皆から神として崇められている、海府尊神である」
「私は大日本帝国海軍、第三十八号軍艦の艦長だった」
「さきの大東亜戦争で部下たちと共に戦死した」
「部下たちを郷里に帰すことができず悔やんでいる。護国神社へ連れ帰りたい」

童乩の言葉から「海府尊神」が帝国海軍の軍人の御霊だと知り、ここに「海府大元帥」の尊称が捧げられました。

そしてここから、「海府大元帥」はどなたなのか…という調査も始まりました。

同時にこの瞬間、紅毛港保安堂は台湾と日本の架け橋となる、大きな使命を受けることになりました。

御神艦「38にっぽんぐんかん」前世 駆逐艦蓬/第三十八号哨戒艇概要