【艦長(艇長)】高田又男大人命

明治39(1906)年11月4日
   熊本県生まれ。青木家(※)。
大正14(1925)年5月1日  
   東京高等商船学校入学(航海科90期)
   同日  海軍予備生徒。 在学中、大成丸第38次遠洋航海に参加。
昭和4(1929)年1月8日~3月31日
   大成丸第39次遠洋航海に参加 (東京発~ヤルート~トラック~東京着)。
同年6月29日~10月13日
   大成丸第40次遠洋航海に参加 (東京発~ヤルート~トラック~東京着)。
昭和5(1930)年12月15日卒業
   東京高等商船学校卒業、近海郵船(日本郵船関連会社)入社。 
   甲種船長海技免状所持。
   東亜海運(現在の東亜海運とは別会社)設立後に移籍。
   熊本市出水町國分府617 に居を構える。
昭和7(1932)年10月
   一時的に東京都に赴任(淀橋区上落合2-689に居を構える)。
昭和12(1937)年7月1日
   予備中尉を拝命。
昭和13(1938)年3月22日
   補第4艦隊司令部付となる。
同年6月
   高田家の養子となる、以後、高田姓(※)。
同年12月1日
   補馬公防備隊付となる。
昭和17(1942)年3月16日
   予備大尉を拝命。
同年3月20日
   補第2日の丸砲艦長を拝命。
昭和18(1943)年4月1日
   佐世保鎮守府付被仰付となる。
同年6月20日
   補第38号哨戒艇長拝命。
昭和19(1944)年11月25日 午前1時15分頃
   サブタン島アハウ岬南西5km地点付近(北緯20度14分 東経121度50分)にて、アメリカ合衆国海軍潜水艦アトゥル(USS Atule, SS-403)号の攻撃により戦死。


戦死後、海軍少佐昇進。正七位 瑞宝単光章、賜2級俸。

(※)
生家の青木家と、30歳の時に養子となった高田家は双方ともに、熊本・細川藩重臣の家系で、殿様の殉死を許された極めて高い格式地位の家系です。