【砲台部下士官 上等兵曹】彌五郎丸保大人命

大正2年(1913)年10月23日
   佐賀県(現在)多久市にて、父作太郎、母ミツとの間で、四人兄弟の末っ子として生を受ける。
どのような経緯で帝国海軍に奉職されたのかについて現在調査中。
昭和18(1943)年9月12日
   中尾ヒロと結婚。一女もうける(名は恵子)。
昭和19(1944)年11月25日 午前1時15分頃
   サブタン島アハウ岬南西5km地点付近(北緯20度14分 東経121度50分)にて、アメリカ合衆国海軍潜水艦アトゥル(USS Atule, SS-403)号の攻撃により戦死。

彌五郎丸家の血脈は長男を中心に続いている。

戦後、どのような経緯か不明であるが、一人娘の彌五郎丸恵子は養子に出される(養子先の家族姓は不明)。高校卒業後、結婚(古賀恵子)、久留米市に在住し、娘二人(彌五郎丸保大人命直孫)を生むが、現在、全員行方不明の状況。