
大変悲しい事故が発生しました。
弊廟委員、爐主の徐宏義が4月8日未明事故死しました。
港の沈没船引き上げ作業中、切断作業を行っておりましたところ、ガス爆発に巻き込まれての事故死でした。享年49歳。
弊廟青年部の指導者として、弊廟の爐主(廟内の儀礼儀式全般に関する責任者)として、そして紅毛港保安堂の敬虔な信徒として海を愛し、青少年の指導、台湾日本の友好活動、そして優しい人格者として周囲から尊敬されてた偉大な方の突然の訃報に、悲しみに打ちひしがれております。
南無阿弥陀仏。
大変悲しい事故が発生しました。
弊廟委員、爐主の徐宏義が4月8日未明事故死しました。
港の沈没船引き上げ作業中、切断作業を行っておりましたところ、ガス爆発に巻き込まれての事故死でした。享年49歳。
弊廟青年部の指導者として、弊廟の爐主(廟内の儀礼儀式全般に関する責任者)として、そして紅毛港保安堂の敬虔な信徒として海を愛し、青少年の指導、台湾日本の友好活動、そして優しい人格者として周囲から尊敬されてた偉大な方の突然の訃報に、悲しみに打ちひしがれております。
南無阿弥陀仏。
台湾全土で、今、櫻満開です。
その多くが、緋寒桜(別名、台湾山桜)、八重桜(別名、九族百重桜)、霧社桜、少し遅めに咲く太平山桜花、台湾山桜とソメイヨシノを掛け合わせた洲府枝垂桜など、確認されてるだけで14種類の台湾固有種が存在しております。
台湾の櫻の特徴は、日本の櫻と比べ、花が少し小ぶりながら、色が大変濃く、香りが極めて豐かな点にあります。
実は櫻の開花には、ある程度の寒さが必要なのです。
暖かさだけでは駄目で、咲く前に十分な寒さ(おおよそ5度前後)が重要であり、一定の低温にさらして休眠し、春に向けて気温の上昇とともに覚醒させることで開花します。これを「休眠打破」と言います。
ですので、台湾では寒暖の差が激しい標高の高い所を中心に、櫻の名所が多く存在します。
さて、弊廟では現在、安倍晋三首相祈念公園の建設を進めておりますが、やはり日本を象徴する櫻が必要です。しかし高雄は暑い、冬でも半袖で過ごせるくらいに暑いです(最近はそうでもありませんが、櫻の開花には難しい気温です)。
台湾の固有種櫻でもなかなか育ちにくいロケーションにあります。
それでも安倍さん、そして海府大元帥、麾下145柱の英霊の皆様に、櫻をお見せしたい、捧げたい…この願いは不動のものです。
そこで今回の祈念公園を設計されました、日本人信徒がある実験をしました。
簡単に説明しますと、凍ったペットボトルを櫻に括り付け、寒さを「錯覚」させ、頃合いを見計らって取り除き、高雄の気温に晒す、人工的な「休眠打破」です。
結果…
これには、保安堂スタッフ一同、驚愕しました!まさか高雄、鳳山區のど真ん中で、見事な櫻が咲くとは、言葉も出ませんでした!
きっと、海府大元帥の御霊験があったのでしょう。直ちに奉納しました。
紅毛港保安堂が新たな櫻の名所になりますこと。
先日のYouBikeステーション設置に続きまして、いよいよ!弊堂におきまして、安倍晋三首相記念公園(仮称)の建設に入りましたことをお知らせいたします!
場所は弊廟真正面の広大な空き地です!
弊廟関係者と高雄市、関係各署、権利関係者との長い協議が無事に終わり、契約締結が行われました。
内容につきましてはまだお伝えできませんが、日本庭園の設計、日本のベテラン大工らが中心となって設計し、着工開始となりました!
完成時期につきまして、目標は今年の秋ですが、台湾の気候、土壌などから遅延が発生する場合も想定されます。
進捗につきまして、何かありましたが、逐次、X、ならびに本特設ホームページにてご連絡いたします!
どうか皆様、台湾日本の新たな友好の場として、ご期待ください!
紅毛港保安堂最大の問題は、公共交通の不足でした。高雄市民でさえも「?」となるバス、草衙站から徒歩、高雄駅からタクシー…それらの手段しかありませんでしたが、本日(2/7/2025)境内内にてYouBikeステーションが設置されました!
草衙站前に数か所、YouBikeステーションがありますので、そこからお乗りいただき、弊廟で乗り捨てすることができるようになりました。
ただ産業道路を走ることになりますので、トラックなどにご注意ください。
紅毛港保安堂は皆様と共に、台湾と日本の絆を深め、新しい年、新しい飛躍のために、頑張ります!
2025年1月15日~1月20日、昨年、公認漫画家ぐりあん先生が見つけました、海府大元帥麾下、島袋好雄大人命(33番 二番機銃長 上等水兵 伊江村出身)並びに高江州盛善大人命(125番 焚火員 機関兵長 沖縄市越来出身)のご遺族様までご挨拶、本年11月に開催予定の大慰霊祭への御招待、そして何らかの形での交流の可能性を見出すべく、第一回沖縄縣表敬訪問を行いました。
到着後、直ちに沖縄縣護国神社まで昇殿参拝しました。沖縄縣でのご遺族様発見の報告、並びに御神幟二振りを奉納しました。加治宮司はじめ、深く深く御礼を申し上げました。
翌日、島袋好雄大人命の生地、伊江島まで向かいました。伊江村役場に入り、内間常喜副村長まで表敬訪問致しました。伊江島から出征し、バシー海峡に17歳で散華した島袋好雄大人命のことを知る人は殆どいませんが、しかしながら台湾において、神様としてお祀りしておりますことを説明し、御神幟はじめ、台湾からの御礼品を捧げることができました。
アラ浜を望む、阿良の御嶽に参拝しました。
この御嶽は、島民が島から出る時、島に帰る時、必ず真っ先に参拝する大切な聖地です。無論、島袋好雄大人命も出征の日にここを参拝し、佐世保海兵団まで向かいました。
ご想像できますでしょうか…国民学校を卒業した少年が一人、ここから旅立ち、二度と帰ってこなかったことを…。
そして島袋好雄大人命のとぅとぅめ(位牌)に拝礼、み霊の御帰還が実現できました。
ご遺族様に御神幟、台湾からの御礼品をお贈りしました。
琉球新報の記者様がご同行され、翌日、同誌にて報道されました。
翌日、沖縄市越来まで、高江州盛善大人命の御遺族様まで表敬訪問…の予定でしたが、何故か連絡が取れず、残念な結果になりました。
越来自治公民館を通して、引き続き、ご遺族様と連絡を取るようにいたします。
沖縄縣より出征されました海府大元帥麾下の部下は八柱です。現在と違い、当時は佐世保海兵団まで片道一週間必要でした。
彼らは帰る事なく、親族とも会えず、皆、バシー海峡の華となりました。
どうか記憶して欲しい。
彼らが家を出た時と同じ光景が、今も広がっていることを。
1月6日、日本時間14時58分、 海府大元帥、高田又男大人命の御子息(神様の息子)、高田鳴海先生がお亡くなりました。享年82歳。
人工透析を終えて帰宅中、意識不明の状態にて玄関前で倒れてるところを近所が発見、直ちに救急搬送されましたが、病院到着後、死亡が確認されました。
一昨年、コロナ禍開けて、お越しいただきました時の感動は弊堂、忘れることはできません。
そして「残り144柱のご遺族を探して欲しい」との高田先生の願いに、心動かされない者はおりませんでした。
謹んで哀悼の意を捧げます。
旧年本当にありがとうございました。今年も皆様と共に、台湾日本の絆がより深く、強固なものになりますことを、深く祈念申し上げます!
「トモダチ作戦」…この作戦名を知らない日本人は一人としていないことでしょう。東日本大震災時、アメリカ軍が一丸となって被災地を救援救助した作戦…その立役者であります、政治学者、元在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長のロバート・D・エルドリッヂ博士がご参拝にいらっしゃいました。
博士の御父上は、沖縄戦に参戦、親子で日本とのご縁がございます。
大学卒業後、英語教師として初来日、以後日本研究を深められ、外交史、安全保障、太平洋戦争戦史等の大家となられました。上記は博士が保安堂に奉納されました、大日本帝國海軍軍船資料集です(博士翻訳)。
台湾において帝國海軍の軍艦が愛され、英霊が篤く祀られていることに深くご関心を抱かれ、今回のご参拝となりました。
戦いに命を捧げた英霊に、国籍はありません。
大切なのは、彼らを永遠に記憶することです。
とても気さくな博士でありました♬ 日本語が日本人以上でした~♩
どうかまたお越しください!!!