5月4日、西村康稔議員ご一同様、再度弊廟までお越しいただきました!台湾の各テレビ局にて大々的に報道されました!この前後、我が国の賴清徳総統らとご会談、安倍さんの御遺志を継がれることを強調されました!
またいつでもお越し下さい!
5月4日、西村康稔議員ご一同様、再度弊廟までお越しいただきました!台湾の各テレビ局にて大々的に報道されました!この前後、我が国の賴清徳総統らとご会談、安倍さんの御遺志を継がれることを強調されました!
またいつでもお越し下さい!
5月9日、早稲田大学遠州稲門会ご一同様、弊廟までご参拝いただきました!
弊廟のスタッフ、早稲田大学留学など同大学と繋がりが深く、この度のお越しは懐かしく本当に嬉しい限りです!
都の西北~♬ 早稲田の杜に~♬
またいつでもお越しください!
皆様の御浄財により建設を進めております、安倍晋三首相紀念公園、完成間近となりました。本当に皆様、感謝に感謝の言葉、尽くしきれません。
御浄財をお納めいただきました皆様のお名前を公開します!
台湾日本両国の報道にて皆様、既にご存じかと思いますが、4月29日、高市早苗議員ご一同様が、タイトなスケジュールの中、弊廟紅毛港保安堂まで表敬訪問いただきました(順不同):
高市早苗議員(経済安全保障担当大臣 奈良2區 自由民主黨)
黄川田均議員(元外務大臣政務官 埼玉3區 自由民主黨)
尾崎正直議員(自由民主黨副幹事長 高知2區 自由民主黨)
佐藤啓議員(財務金融部会長代理 奈良縣比例 自由民主黨)
西村康稔議員(元経済再生担当大臣 兵庫縣9區 自由民主黨)
簗和生議員(元文部科学副大臣 栃木縣3區 自由民主黨)
加藤竜祥議員(元国土交通大臣政務官 長崎縣2區 自由民主黨)
姚品均科員(中華民國外交部)
日本台湾交流協會高雄事務所
台湾と日本を長年繋げていただき、同じ価値観、同じ未来を見つめていた両國の絆をしっかりと、故李登輝総統と共に支えあった安倍晋三首相が凶弾に斃れ、どれくらい多くの涙が落とされたことでしょう。
高市議員はじめ、日本より大勢の議員の皆様がお越しいただき、そして「安倍さん」の功績を讃えていただきましたことに、弊廟は感動の言葉しか出てきませんでした。
そしてここに大きなイベントが。
今回、日本台湾両國議員による、弊廟正面にて建設を進めております「安倍紀念公園」石碑の除幕式が行われました!
幕が開かれました瞬間、新しい両國の絆が誕生しました。
除幕式を終え、ご一同様は弊廟内まで。
紅毛港保安堂において、日本人と帝國海軍の英霊を神様としてお祀りしており、東アジアの平和と安定、そして台湾日本両國の友好の場としての説明をお受けになられました。
拙い弊廟の説明を受けられた後、深々と合掌していただきました高市議員皆々様のお姿に、一同、深い感動に包まれました。
当日は大変な賑わいで、セキュリティーに関して万全を尽くしました。地元議員の皆様も、新たな絆を築かんとお越しいただきました。
台湾日本の松明は、引き継がれました。「安倍さん」のご遺志は、必ず成就します!
皆様、本当にお越しいただきまして、感謝申し上げます。
「安倍さん」はご生前、首相席を去りました後で、台湾まで行きたいとのこと。
我々台湾は、台湾人は、家族以上の「何か」によって分かつことができない「運命」を持っています。
いつでもお越しください。是非、次回は、日本國総理大臣として。
大変悲しい事故が発生しました。
弊廟委員、爐主の徐宏義が4月8日未明事故死しました。
港の沈没船引き上げ作業中、切断作業を行っておりましたところ、ガス爆発に巻き込まれての事故死でした。享年49歳。
弊廟青年部の指導者として、弊廟の爐主(廟内の儀礼儀式全般に関する責任者)として、そして紅毛港保安堂の敬虔な信徒として海を愛し、青少年の指導、台湾日本の友好活動、そして優しい人格者として周囲から尊敬されてた偉大な方の突然の訃報に、悲しみに打ちひしがれております。
南無阿弥陀仏。
先日のYouBikeステーション設置に続きまして、いよいよ!弊堂におきまして、安倍晋三首相記念公園(仮称)の建設に入りましたことをお知らせいたします!
場所は弊廟真正面の広大な空き地です!
弊廟関係者と高雄市、関係各署、権利関係者との長い協議が無事に終わり、契約締結が行われました。
内容につきましてはまだお伝えできませんが、日本庭園の設計、日本のベテラン大工らが中心となって設計し、着工開始となりました!
完成時期につきまして、目標は今年の秋ですが、台湾の気候、土壌などから遅延が発生する場合も想定されます。
進捗につきまして、何かありましたが、逐次、X、ならびに本特設ホームページにてご連絡いたします!
どうか皆様、台湾日本の新たな友好の場として、ご期待ください!
紅毛港保安堂は皆様と共に、台湾と日本の絆を深め、新しい年、新しい飛躍のために、頑張ります!
2025年1月15日~1月20日、昨年、公認漫画家ぐりあん先生が見つけました、海府大元帥麾下、島袋好雄大人命(33番 二番機銃長 上等水兵 伊江村出身)並びに高江州盛善大人命(125番 焚火員 機関兵長 沖縄市越来出身)のご遺族様までご挨拶、本年11月に開催予定の大慰霊祭への御招待、そして何らかの形での交流の可能性を見出すべく、第一回沖縄縣表敬訪問を行いました。
到着後、直ちに沖縄縣護国神社まで昇殿参拝しました。沖縄縣でのご遺族様発見の報告、並びに御神幟二振りを奉納しました。加治宮司はじめ、深く深く御礼を申し上げました。
翌日、島袋好雄大人命の生地、伊江島まで向かいました。伊江村役場に入り、内間常喜副村長まで表敬訪問致しました。伊江島から出征し、バシー海峡に17歳で散華した島袋好雄大人命のことを知る人は殆どいませんが、しかしながら台湾において、神様としてお祀りしておりますことを説明し、御神幟はじめ、台湾からの御礼品を捧げることができました。
アラ浜を望む、阿良の御嶽に参拝しました。
この御嶽は、島民が島から出る時、島に帰る時、必ず真っ先に参拝する大切な聖地です。無論、島袋好雄大人命も出征の日にここを参拝し、佐世保海兵団まで向かいました。
ご想像できますでしょうか…国民学校を卒業した少年が一人、ここから旅立ち、二度と帰ってこなかったことを…。
そして島袋好雄大人命のとぅとぅめ(位牌)に拝礼、み霊の御帰還が実現できました。
ご遺族様に御神幟、台湾からの御礼品をお贈りしました。
琉球新報の記者様がご同行され、翌日、同誌にて報道されました。
翌日、沖縄市越来まで、高江州盛善大人命の御遺族様まで表敬訪問…の予定でしたが、何故か連絡が取れず、残念な結果になりました。
越来自治公民館を通して、引き続き、ご遺族様と連絡を取るようにいたします。
沖縄縣より出征されました海府大元帥麾下の部下は八柱です。現在と違い、当時は佐世保海兵団まで片道一週間必要でした。
彼らは帰る事なく、親族とも会えず、皆、バシー海峡の華となりました。
どうか記憶して欲しい。
彼らが家を出た時と同じ光景が、今も広がっていることを。
海󠄀軍大學校󠄁台湾・高雄で外務大臣表彰式 バシー海峡戦没者慰霊祭実行委員会などに表彰状
日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会は16日、2024年度外務大臣表彰の授賞式を南部・高雄市内で行い、バシー海峡戦没者慰霊祭実行委員会と潮音寺管理委員会に対して同協会の奥正史高雄事務所長が表彰状を手渡した。日本と台湾との相互理解の促進に貢献したことが評価された。
両団体はいずれも台湾の南のバシー海峡で第二次世界大戦中に命を落とした戦没者の慰霊に取り組んでいる。交流協会によれば、潮音寺管理委員会は慰霊施設として1981年に建立された潮音寺を管理している。遺品の管理や展示なども行い、バシー海峡での惨劇を後世に伝えている。慰霊祭実行委員会は2015年に台湾在住の日本人らによって設立。潮音寺管理委員会と共同で慰霊祭を開催してきた。
潮音寺管理委員会の鍾佐栄委員長はあいさつで、真に表彰を受けるべきなのは寺を建立した故人の中嶋秀次さんだと言及。戦時中にバシー海峡で12日間漂流した末に生還した中嶋さんが、救助されるまでの間に聞こえた仲間たちの助けを求める声を30年以上忘れられず、慰霊のために寺を建立したと説明した。
慰霊祭実行委員会の渡辺崇之委員長は、特殊な外交問題などを背景に、日本政府はバシー海峡でのみ慰霊祭を行うことができていないとした上で、同委員会が外務大臣表彰を受けたことはバシー海峡における戦没者が初めて国に認められた証明のようなものだとコメント。バシー海峡の存在すら知らない日本人が未だに多いため、委員会の使命はまだ道半ばだとの考えを示した。
今年の慰霊祭は17日に屏東県の潮音寺で行われたという。(フォーカス台湾より転載)
哨戒艇38号(駆逐艦蓬)、海府大元帥麾下145柱が眠るバシー海峡。保安堂にとりましても、ご縁あります潮音寺・バシー海峡戦没者慰霊祭実行委員会のこのたびの表彰、深くお祝い申し上げます。
表彰式に保安堂も参加いたしました。
バシー海峡に眠る英霊をいつまでも…。
2024年11月17日、日本國はじめ、国際政治や政策などを研究し、未来のリーダーを育てる政策研究大学院大学から先生学生研究員の皆様が、保安堂までお越しになられました。
大変お恥ずかしい話、保安堂では存じ上げておりませんでしたが、選りすぐりの日本国政府、現役の官僚、都道府県・政令指定都市の地方公務員が中心となり、政策研究をされ、将来の日本を指導し、周辺諸国との外交を進めるエリート養成校だったのですね!かつて日本にありました海󠄀軍大學校󠄁の現代版でありましょうか。素晴らしい皆様方とお会いできましたこと、光栄であります!