1月6日、日本時間14時58分、 海府大元帥、高田又男大人命の御子息(神様の息子)、高田鳴海先生がお亡くなりました。享年82歳。
人工透析を終えて帰宅中、意識不明の状態にて玄関前で倒れてるところを近所が発見、直ちに救急搬送されましたが、病院到着後、死亡が確認されました。
一昨年、コロナ禍開けて、お越しいただきました時の感動は弊堂、忘れることはできません。
そして「残り144柱のご遺族を探して欲しい」との高田先生の願いに、心動かされない者はおりませんでした。
謹んで哀悼の意を捧げます。
1月6日、日本時間14時58分、 海府大元帥、高田又男大人命の御子息(神様の息子)、高田鳴海先生がお亡くなりました。享年82歳。
人工透析を終えて帰宅中、意識不明の状態にて玄関前で倒れてるところを近所が発見、直ちに救急搬送されましたが、病院到着後、死亡が確認されました。
一昨年、コロナ禍開けて、お越しいただきました時の感動は弊堂、忘れることはできません。
そして「残り144柱のご遺族を探して欲しい」との高田先生の願いに、心動かされない者はおりませんでした。
謹んで哀悼の意を捧げます。
旧年本当にありがとうございました。今年も皆様と共に、台湾日本の絆がより深く、強固なものになりますことを、深く祈念申し上げます!
「トモダチ作戦」…この作戦名を知らない日本人は一人としていないことでしょう。東日本大震災時、アメリカ軍が一丸となって被災地を救援救助した作戦…その立役者であります、政治学者、元在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長のロバート・D・エルドリッヂ博士がご参拝にいらっしゃいました。
博士の御父上は、沖縄戦に参戦、親子で日本とのご縁がございます。
大学卒業後、英語教師として初来日、以後日本研究を深められ、外交史、安全保障、太平洋戦争戦史等の大家となられました。上記は博士が保安堂に奉納されました、大日本帝國海軍軍船資料集です(博士翻訳)。
台湾において帝國海軍の軍艦が愛され、英霊が篤く祀られていることに深くご関心を抱かれ、今回のご参拝となりました。
戦いに命を捧げた英霊に、国籍はありません。
大切なのは、彼らを永遠に記憶することです。
とても気さくな博士でありました♬ 日本語が日本人以上でした~♩
どうかまたお越しください!!!
保安堂の隅っこの壁には今から10年前、ぐりあん先生が初参拝し、初めて「38にっぽんぐんかん」を観た瞬間に強烈なインスピレーションを受け、描いた「小蓬(蓬ちゃん)」の絵が掲げられております。
去り際に、柱の向こうに立っていた少女が見えて、ホテルで下書きを描き、後日SNSにあげた後で、当時の保安堂スタッフの目に留まり…そしてそれ以後、ぐりあん先生は保安堂にボランティアとして、「小蓬(蓬ちゃん)」を描き続け、奉納していただいております。
ぐりあん先生は145柱のご遺族を探す計画の先頭に立ち、今年だけでも3柱のご遺族を徒手空拳の状況から見つけていただきました。
そして今回の80回忌に合わせ、ご遺族探しのために、アイキャッチとして「小蓬(蓬ちゃん)」の等身大パネルを制作、奉納していただきました。
下部にQRコードがあり、本特設ホームページ、保安堂ホームページにアクセスできるようになっております。
来年から一体ずつ、「小蓬(蓬ちゃん)」の仲間たちの等身大パネルを奉納し続けるとのことです。
顧理安老師、多謝!!!
コロナ禍を乗り越え、11月23日、80回忌、海府大元帥麾下145柱大慰霊祭(蓬回忌)を開催することができました。本来は命日の11月25日ですが、日本では新嘗祭(現、勤労感謝の日)という尊い祝日であり、また他廟におきましても、吉日であり、週末であることから繰り上げての開催となりました。
台湾国内全土からだけでなく、日本からも大勢のご参拝客がお越しになられ、バシー海峡において命を捧げた高田又男艦長、麾下145柱の英霊を讃えました。
その後、台湾日本交流の大宴会が保安堂前で開催されました。数日前まで、天候不順でしたが、この日、この夜、まるで英霊の皆様を祝福するかのように快晴、気温もほどよく涼しく、食事がどんどん運ばれ、楽しい歓談が行われました。
ちなみに、ご参加者数は800人弱でした!!!
本堂前では、合気道演武、台湾舞踊、カラオケ、そしてなんと原住民の踊りが披露され、大変な賑わいとなりました!
ちなみにあたしも、たくさんのお菓子をいただきました!(笑)
あれから80年です。
薄れていくどころか、あたしたちを益々深く覚えてくださって、感謝しかありません。何度か申し上げました…「いつまでも覚えてください」…それだけがただ一つのお願いです。