御遺影に関して情報を求めております

各県護国神社、各神社、団体様、御協力者様等のご協力により、海府大元帥麾下百四十五柱の出身県、御遺族様の情報、御遺影等の情報が集まりつつあります。
ここに改めまして、各位へ深く厚く御礼申し上げます。

御遺族様を見つけるのにもう少し時間がかかりますが、出身県につきまして、一覧にて表記いたしました。

一方で諸事情より御遺影のみ見つかりましたが、それ以上の情報を得られていないというケースもございます。
そこでこちらにて(令和8年3月29日現在)、御遺影を掲載し、更なる情報をお願いできればと考えております。

山口県防府市出身 機銃伝令 是枝長一二等兵曹

御遺影は、山口県山口市、「弾除け神社」三坂神社よりご協力賜りました。
同県防府市出身であることまで判明しました。

(出身県不明) 砲術長兼機雷長 森健治(謙治?)予備中尉

水産講習所同窓会名簿より画像発見しましたが、これ以上の情報を得られませんでした。

高知県北川村出身 看護員長 北岡惺望上等兵曹

北川村遺族会発行「国破れて山河あり」にて御遺影発見しました。

福岡県甘木市出身 掌機雷長 千種真徳兵曹長

大分県速見郡出身 航海長兼通信長 中田剛司予備中尉

神戸商船学校卒業の情報がございます。

【主計長 主計少尉】神保一義大人命

日光市(旧今市市)出身、同地名士の御曹司。中曾根康弘元首相も在籍していた海軍経理学校を卒業したエリート。同学校同窓会記念集において、柔道を愛し、いつもニコニコ顔の温和な好青年と記されている。

残念ながらご遺族様は一切語ることを拒否し、栃木県護国神社、弊廟などとの関係を断絶している。本遺影は同窓会記念集より転載(ご遺族様より掲載許可済)。

【操舵員長 上等兵曹】二宮巽大人命

大正9(1919)年
愛媛県宇和島市三間町にて豪農、二宮丑太郎の四男に生まれた。
昭和11(1936)年6月に海軍へ志願、佐世保鎮守府海兵団卒業後、軽巡洋艦由良に乗艦からキャリアを開始。昭和14(1939)年に海軍航海学校に入学。卒業後、航海術のエキスパートとして昭和15(1940)年4月、支那事変に参加。
大東亜戦争開戦時、ガタルカナル島攻略に活躍。
その後、第38号哨戒艇の操舵員長となる。
船乗りの花形である「舵取り」、その操舵主の責任者として、海府大元帥(高田又男艦長)の直ぐ傍で最期まで、舵を握り続けた美丈夫。
享年27歳(数え年)。
戒名 忠洋院義岳泰然居士。

二宮丑太郎の長男が二宮家を引き継ぎ、今回、ご親類をお会いし、御遺影、御位牌を確認できた。

福岡県の情報を探しております

ご遺族様探しに関して、関係各位より多大な御慈力賜り、ここに改めて御礼申し上げます。この度、さる方々からより、福岡県出身の英霊十二柱に関する情報をいただくことができました。

7   掌機雷長     兵曹長     千種貞徳大人命
17   一番砲一番砲手  上等水兵    松山種文大人命
40   三年式機銃射手  上等水兵    小川 隆大人命
56   三番投射機二番  上等水兵    吉永正弘大人命
63   信号員      上等水兵    朱雀能之大人命
82   電信員      上等水兵    安部朝男大人命
94   電短員長     二等兵曹長   小島敏夫大人命
97   電短員      上等水兵    吉塚晴一大人命
105  機械部下士官  一等機関兵曹   薄 博之大人命
114   通信伝令員    機関兵長     平田 明大人命
117  撃部下士官   上等機関兵曹    池田克己大人命
131  補機部下士官  一等機関兵曹    棚町 勇大人命

戦後八十年、ご遺族様に関する情報が把握できない状況です。家族姓から、一部英霊の本籍を凡そ把握することは可能ですが、それでも徒手空拳、広い福岡県から探す作業は困難です。

皆様におかれまして、わずかでも情報がございますなら、ご教示いただけますと幸いです。

「実家に帰ると、水兵さんの遺影があるけど」
「同じ姓で親類にそれらしい名前があったような」
「檀家になってる寺での法事に、それらしい名前が」

もし情報がございましたら、こちらまでどうかご一報ください。よろしくお願いいたします。