【電短員 上等水兵】白川善吉大人命 出身地、並びにご遺族様を確認しました!

長崎県壱岐市、この海清らかなな島におきまして、白川善吉上等水兵大人命のお墓、空き家となっておりますがご実家、そしてご遺族様の確かな情報を得ることができました!

漁業で賑わう壱岐の港町にて生を受け、ここより出征されました白川善吉上等水兵大人命はまさに「海の子」であったことを、風景が物語っております。

地元の皆様のご協力から、生前、ご結婚され、現在、孫がいる可能性が高く、調査中です。家を引きついだご親族は福岡県在住のため、時期を観て訪問し、最終確認する予定です!

【電機部下士官  二等機関兵曹】中邑隆一大人命 御遺影確認できました!

この度、高知県香美市におきまして、中邑隆一(たかいち)二等機関兵曹大人命のご遺族様と面会、出身と御遺影を確認することができました!

中邑家五人兄弟で、長男として海軍に志願され、次男も海軍(海軍陸戦隊)、三男は陸軍に入隊しました。次男、三男はそれぞれ中国大陸で戦傷を負い、治療中に終戦を迎え、次男が中邑家を継ぎました。長女と次女は残念ながら数年前に高いしていますが、長女は特に長男隆一大人命を深く慕い、不思議なことに台湾を愛されていたとのことです。

高知県護国神社、遺族連合会、香美市遺族会の暖かいご尽力により、このように巡り合えました事は本当に奇跡であります。

香美市慰霊碑は大変美しく清掃されております。地元会長曰く、自衛隊有志が毎月のように清掃奉仕されてるとのことで、今も「記憶」が大切にされていることに、深い感動を覚えました。

歡迎光臨!石垣市中山義隆市長ご一行様!

基隆石垣市フェリーに開通、タイガーエアの石垣島就航、台湾と石垣島、八重山諸島の距離に近さこそあれ、長らく直接往来できるルートがありませんでしたが、近年、多数の交通手段が登場し、沖縄県本島しか知らない台湾人の間で、「懐かしい台湾の風景」としての石垣島、そして多くの台湾人移民が暮らす名蔵地域、石垣島パイナップルと台湾の関係…そのような深い繋がりを発見され、9月3日、人気急上昇の石垣島より中山市長ご一行様が保安堂までお越しになりました!

それ以上に大切なこととして、安倍首相が生前訴えられました「台湾の有事は日本の有事」、その民主主義と自由の最前線が台湾と石垣島、八重山諸島、先島諸島にあるということです。中山市長はこの重要さを常日頃訴えております。

台湾と日本、この兩國が共に腕を組み、自由の護り手として前進していきましょう!

来年、是非とも保安堂一同、石垣島へ訪問できればと考えております。

石垣島出身の英霊を見つけ出せたらと思います。68番 電信員長 池城安秀上等兵曹長大人命です。彼は石垣市市内出身であることを確認しております。

歡迎光臨!有村治子議員 長島昭和久議員 大塚拓議員 鹿嶋祐介議員!

2026年8月10日、日本國國會議員であります、有村治子参議院議員、長島昭和久衆議員議員、大塚拓衆議員議員、鹿嶋祐介衆議員議員(順不同)が保安堂までお越しになりました!

頼清徳総統らと会談を終え、台湾日本兩國の友好に尽力されました安倍晋三首相の遺徳を偲び、また台湾で祀られております海府大元帥麾下145柱の英霊への礼拝のため、大変お忙しい中のご訪問にただただ感謝しかございません。

また現在、保安堂で進めております「忘れられた特攻隊」、大日本帝國陸軍水上特攻隊「海上挺進第22戦隊」の遺骨調査に関して、初めて、日本政府の代表の皆様に開示致しました。
「忘れられた特攻隊」「海上挺進第22戦隊」について、日本政府厚生労働省や靖国神社においても謎とされ、隊員約20名の死亡については記録されておりますが、どこでどのように亡くなられたかについての情報が全くありません。
ところが保安堂におきまして、当時を知る原住民古老らの証言から、彼らの死亡状況と場所について判明し、それについて初めて発表しました。

有村議員はじめ、皆様が初めて聴く話に衝撃を受けられました。

本件は日本政府に伝達され、後日、日本國厚生労働省へ保安堂が直接説明することとなりました。

このことについて、後日、本特設ホームページにてご紹介いたします。

本当にお越し頂きましてありがとうございます!

歡迎光臨!安倍昭恵夫人!

5月11日、凶弾に斃された安倍晋三首相の妻、安倍昭恵夫人が弊廟までお越しになられました。台湾日本の友好、民主主義と自由の防波堤、そして何よりも「至誠」を体現されました安倍首相への想いは、日を追うごとに台湾で確固たるものになっております。

安倍首相の「至誠」を「記憶」し続け、「感謝」する…これは海府大元帥、第38号哨戒艇の百四十五柱の英霊、バシー海峡に沈んだ将兵、高砂義勇軍、台湾上空で散った神兵、敵味方問わず、國を想い、家族を想い、未来を夢見た先人たちの「至誠」に応える、我々全員が抱き続けなければならない事なのです。

台湾日本兩國から大勢の方々が出席されました。

安倍さんは、いつも我々と共にいらっしゃいます!

情報修正:是枝長一大人命

先般、九州四国各護國神社様を巡りました際、鹿児島縣護國神社より新たな情報をいただきました。その中で、是枝長一兵曹大人命(28番 機銃伝令役)が同県出身であることが判明しました。

明治38(1905年)年1月12日、現在の霧島市隼人町(旧、姶良郡隼人町)生まれ。最後のご遺族様の情報として、是枝スエマツ様(妻)まで確認できました。

何故、三坂神社(「弾除け神社」で有名、山口県山口市)にご本人様の写真(裏面には「防府市」在住の自筆跡有り)があったのか、ここからあくまでも推測です:

富隈尋常高等小学校(?)卒業後、佐世保鎮守府海兵団に入団。
艦隊勤務で長く経験を積んだ後、通信兵のキャリアを目指して、海軍通信学校を志願。横須賀海軍通信学校を卒業後に、通信兵として活躍する。
昭和18(1943)年、山口県防府市に帝國海軍防府通信学校が新たに設置、そこで実務の教官として赴任、市内で下宿(駅前通り)。その時期、上記の三坂神社まで参拝し、自分の写真を納めたものと考えられます。
翌年、台湾へ赴任、第38号哨戒艇に乗艦…。

皆様からの情報をお待ちしております。鹿児島県霧島市隼人町にて是枝様はいらっしゃいますでしょうか。

御遺影に関して情報を求めております

各県護国神社、各神社、団体様、御協力者様等のご協力により、海府大元帥麾下百四十五柱の出身県、御遺族様の情報、御遺影等の情報が集まりつつあります。
ここに改めまして、各位へ深く厚く御礼申し上げます。

御遺族様を見つけるのにもう少し時間がかかりますが、出身県につきまして、一覧にて表記いたしました。

一方で諸事情より御遺影のみ見つかりましたが、それ以上の情報を得られていないというケースもございます。
そこでこちらにて(令和8年3月29日現在)、御遺影を掲載し、更なる情報をお願いできればと考えております。

山口県防府市出身 機銃伝令 是枝長一二等兵曹

御遺影は、山口県山口市、「弾除け神社」三坂神社よりご協力賜りました。
同県防府市出身であることまで判明しました。

(出身県不明) 砲術長兼機雷長 森健治(謙治?)予備中尉

水産講習所同窓会名簿より画像発見しましたが、これ以上の情報を得られませんでした。

高知県北川村出身 看護員長 北岡惺望上等兵曹

北川村遺族会発行「国破れて山河あり」にて御遺影発見しました。

福岡県甘木市出身 掌機雷長 千種真徳兵曹長

大分県速見郡出身 航海長兼通信長 中田剛司予備中尉

神戸商船学校卒業の情報がございます。

【主計長 主計少尉】神保一義大人命

日光市(旧今市市)出身、同地名士の御曹司。中曾根康弘元首相も在籍していた海軍経理学校を卒業したエリート。同学校同窓会記念集において、柔道を愛し、いつもニコニコ顔の温和な好青年と記されている。

残念ながらご遺族様は一切語ることを拒否し、栃木県護国神社、弊廟などとの関係を断絶している。本遺影は同窓会記念集より転載(ご遺族様より掲載許可済)。

【操舵員長 上等兵曹】二宮巽大人命

大正9(1919)年
愛媛県宇和島市三間町にて豪農、二宮丑太郎の四男に生まれた。
昭和11(1936)年6月に海軍へ志願、佐世保鎮守府海兵団卒業後、軽巡洋艦由良に乗艦からキャリアを開始。昭和14(1939)年に海軍航海学校に入学。卒業後、航海術のエキスパートとして昭和15(1940)年4月、支那事変に参加。
大東亜戦争開戦時、ガタルカナル島攻略に活躍。
その後、第38号哨戒艇の操舵員長となる。
船乗りの花形である「舵取り」、その操舵主の責任者として、海府大元帥(高田又男艦長)の直ぐ傍で最期まで、舵を握り続けた美丈夫。
享年27歳(数え年)。
戒名 忠洋院義岳泰然居士。

二宮丑太郎の長男が二宮家を引き継ぎ、今回、ご親類をお会いし、御遺影、御位牌を確認できた。