
紅毛港保安堂最大の問題は、公共交通の不足でした。高雄市民でさえも「?」となるバス、草衙站から徒歩、高雄駅からタクシー…それらの手段しかありませんでしたが、本日(2/7/2025)境内内にてYouBikeステーションが設置されました!
草衙站前に数か所、YouBikeステーションがありますので、そこからお乗りいただき、弊廟で乗り捨てすることができるようになりました。
ただ産業道路を走ることになりますので、トラックなどにご注意ください。
紅毛港保安堂最大の問題は、公共交通の不足でした。高雄市民でさえも「?」となるバス、草衙站から徒歩、高雄駅からタクシー…それらの手段しかありませんでしたが、本日(2/7/2025)境内内にてYouBikeステーションが設置されました!
草衙站前に数か所、YouBikeステーションがありますので、そこからお乗りいただき、弊廟で乗り捨てすることができるようになりました。
ただ産業道路を走ることになりますので、トラックなどにご注意ください。
紅毛港保安堂は皆様と共に、台湾と日本の絆を深め、新しい年、新しい飛躍のために、頑張ります!
2025年1月15日~1月20日、昨年、公認漫画家ぐりあん先生が見つけました、海府大元帥麾下、島袋好雄大人命(33番 二番機銃長 上等水兵 伊江村出身)並びに高江州盛善大人命(125番 焚火員 機関兵長 沖縄市越来出身)のご遺族様までご挨拶、本年11月に開催予定の大慰霊祭への御招待、そして何らかの形での交流の可能性を見出すべく、第一回沖縄縣表敬訪問を行いました。
到着後、直ちに沖縄縣護国神社まで昇殿参拝しました。沖縄縣でのご遺族様発見の報告、並びに御神幟二振りを奉納しました。加治宮司はじめ、深く深く御礼を申し上げました。
翌日、島袋好雄大人命の生地、伊江島まで向かいました。伊江村役場に入り、内間常喜副村長まで表敬訪問致しました。伊江島から出征し、バシー海峡に17歳で散華した島袋好雄大人命のことを知る人は殆どいませんが、しかしながら台湾において、神様としてお祀りしておりますことを説明し、御神幟はじめ、台湾からの御礼品を捧げることができました。
アラ浜を望む、阿良の御嶽に参拝しました。
この御嶽は、島民が島から出る時、島に帰る時、必ず真っ先に参拝する大切な聖地です。無論、島袋好雄大人命も出征の日にここを参拝し、佐世保海兵団まで向かいました。
ご想像できますでしょうか…国民学校を卒業した少年が一人、ここから旅立ち、二度と帰ってこなかったことを…。
そして島袋好雄大人命のとぅとぅめ(位牌)に拝礼、み霊の御帰還が実現できました。
ご遺族様に御神幟、台湾からの御礼品をお贈りしました。
琉球新報の記者様がご同行され、翌日、同誌にて報道されました。
翌日、沖縄市越来まで、高江州盛善大人命の御遺族様まで表敬訪問…の予定でしたが、何故か連絡が取れず、残念な結果になりました。
越来自治公民館を通して、引き続き、ご遺族様と連絡を取るようにいたします。
沖縄縣より出征されました海府大元帥麾下の部下は八柱です。現在と違い、当時は佐世保海兵団まで片道一週間必要でした。
彼らは帰る事なく、親族とも会えず、皆、バシー海峡の華となりました。
どうか記憶して欲しい。
彼らが家を出た時と同じ光景が、今も広がっていることを。
1月6日、日本時間14時58分、 海府大元帥、高田又男大人命の御子息(神様の息子)、高田鳴海先生がお亡くなりました。享年82歳。
人工透析を終えて帰宅中、意識不明の状態にて玄関前で倒れてるところを近所が発見、直ちに救急搬送されましたが、病院到着後、死亡が確認されました。
一昨年、コロナ禍開けて、お越しいただきました時の感動は弊堂、忘れることはできません。
そして「残り144柱のご遺族を探して欲しい」との高田先生の願いに、心動かされない者はおりませんでした。
謹んで哀悼の意を捧げます。
旧年本当にありがとうございました。今年も皆様と共に、台湾日本の絆がより深く、強固なものになりますことを、深く祈念申し上げます!
「トモダチ作戦」…この作戦名を知らない日本人は一人としていないことでしょう。東日本大震災時、アメリカ軍が一丸となって被災地を救援救助した作戦…その立役者であります、政治学者、元在沖縄米軍海兵隊政務外交部次長のロバート・D・エルドリッヂ博士がご参拝にいらっしゃいました。
博士の御父上は、沖縄戦に参戦、親子で日本とのご縁がございます。
大学卒業後、英語教師として初来日、以後日本研究を深められ、外交史、安全保障、太平洋戦争戦史等の大家となられました。上記は博士が保安堂に奉納されました、大日本帝國海軍軍船資料集です(博士翻訳)。
台湾において帝國海軍の軍艦が愛され、英霊が篤く祀られていることに深くご関心を抱かれ、今回のご参拝となりました。
戦いに命を捧げた英霊に、国籍はありません。
大切なのは、彼らを永遠に記憶することです。
とても気さくな博士でありました♬ 日本語が日本人以上でした~♩
どうかまたお越しください!!!
保安堂の隅っこの壁には今から10年前、ぐりあん先生が初参拝し、初めて「38にっぽんぐんかん」を観た瞬間に強烈なインスピレーションを受け、描いた「小蓬(蓬ちゃん)」の絵が掲げられております。
去り際に、柱の向こうに立っていた少女が見えて、ホテルで下書きを描き、後日SNSにあげた後で、当時の保安堂スタッフの目に留まり…そしてそれ以後、ぐりあん先生は保安堂にボランティアとして、「小蓬(蓬ちゃん)」を描き続け、奉納していただいております。
ぐりあん先生は145柱のご遺族を探す計画の先頭に立ち、今年だけでも3柱のご遺族を徒手空拳の状況から見つけていただきました。
そして今回の80回忌に合わせ、ご遺族探しのために、アイキャッチとして「小蓬(蓬ちゃん)」の等身大パネルを制作、奉納していただきました。
下部にQRコードがあり、本特設ホームページ、保安堂ホームページにアクセスできるようになっております。
来年から一体ずつ、「小蓬(蓬ちゃん)」の仲間たちの等身大パネルを奉納し続けるとのことです。
顧理安老師、多謝!!!
コロナ禍を乗り越え、11月23日、80回忌、海府大元帥麾下145柱大慰霊祭(蓬回忌)を開催することができました。本来は命日の11月25日ですが、日本では新嘗祭(現、勤労感謝の日)という尊い祝日であり、また他廟におきましても、吉日であり、週末であることから繰り上げての開催となりました。
台湾国内全土からだけでなく、日本からも大勢のご参拝客がお越しになられ、バシー海峡において命を捧げた高田又男艦長、麾下145柱の英霊を讃えました。
その後、台湾日本交流の大宴会が保安堂前で開催されました。数日前まで、天候不順でしたが、この日、この夜、まるで英霊の皆様を祝福するかのように快晴、気温もほどよく涼しく、食事がどんどん運ばれ、楽しい歓談が行われました。
ちなみに、ご参加者数は800人弱でした!!!
本堂前では、合気道演武、台湾舞踊、カラオケ、そしてなんと原住民の踊りが披露され、大変な賑わいとなりました!
ちなみにあたしも、たくさんのお菓子をいただきました!(笑)
あれから80年です。
薄れていくどころか、あたしたちを益々深く覚えてくださって、感謝しかありません。何度か申し上げました…「いつまでも覚えてください」…それだけがただ一つのお願いです。
来る23日土曜日、午後一時より、海府大元帥の大慰霊祭(蓬回忌)を開催いたします。特別な祭壇を設け、25日に散華した哨戒艇38号(旧称駆逐艦蓬)、高田又男艦長、麾下145柱の英霊に感謝の拝拝を執り行います。
また現在発見されました、三柱(彌五郎丸保大人命、島袋好雄大人命、高江州盛善大人命)の御霊幟を掲げ、時間があえば、現時点で確認されております情報をご提供できればと考えております。
皆様のお越し、お待ち申し上げます。