大正12(1923)年5月20日、沖縄県中頭郡越来村字越来にて、父松榮、母カマの間で、三人兄弟の次男として生を受ける。ここから戦死時、享年21歳。
どのような経緯で帝国海軍に奉職されたのかについて現在調査中であるが、尋常小学校卒業後に佐世保鎮守府海兵団に入団。
この写真の裏に、昭和17年4月21日、「鎮海防備隊」所属と記されている。
長男は若い時に亡くなっており、現在、三男が英霊の位牌(とぅとぅめ)を祀られている。
大正12(1923)年5月20日、沖縄県中頭郡越来村字越来にて、父松榮、母カマの間で、三人兄弟の次男として生を受ける。ここから戦死時、享年21歳。
どのような経緯で帝国海軍に奉職されたのかについて現在調査中であるが、尋常小学校卒業後に佐世保鎮守府海兵団に入団。
この写真の裏に、昭和17年4月21日、「鎮海防備隊」所属と記されている。
長男は若い時に亡くなっており、現在、三男が英霊の位牌(とぅとぅめ)を祀られている。
大正15(1926)年12月15日、島袋久榮様の長男として、沖縄県国頭郡伊江村字西江前65番にて生まれる。
島袋久榮様は島袋好雄大人命が御幼少の頃、兄の島袋鎌助様に預け、フィリピンまで事業家として渡航(同地で事業に成功)。その後、島袋鎌助様は島袋好雄大人命を養子として迎えた。
当時を知る、従兄弟様(島袋大人命出征時の記憶あり)曰く、国民学校卒業後海軍に志願、佐世保鎮守府の海兵団に入る(義父島袋鎌助様の元、昭和16年に入団)。
なお、実父久榮様はその後、大東亜戦争において、フィリピンにて戦火に巻き込まれ、死去。
現在、同村において、甥の島袋良夫様ご家族様が御位牌(とぅとぅめ)をお祀りしている。
享年17歳。
令和6年4月14日、佐賀県におきまして、海府大元帥麾下、砲台部下士官 上等兵曹であります彌五郎丸保大人命のご親族様を正式に確認することができました。
昨年の高田鳴海先生のご来訪から、私共紅毛港保安堂では、残り144柱のご遺族様、ご親類様、ご縁者様を一人でも多く探し出し、弊堂までお迎えしたいとの大願を立てました。
あれから半年弱経過しましたが、昨今の個人情報保護法、そして戦後の長い年月から、ご関係者様の高齢化などの諸問題から、なかなか前に進むことができませんでした。
その中で、弊堂公認漫画家でありますぐりあん先生が、特別なルートなどから独自に調査され、今年頭に「もしかしたら…」という情報を得られ、日本経済大学准教授久野潤先生、佐賀県護国神社まで確認したところ、その可能性が一気に高まり、今回訪問されて、最終的に直接のご遺族ではありませんでしたが、深いご親類であることが確認された次第です。
なお、彌五郎丸保大人命の一人娘であります古賀恵子様(久留米市在住?)と、孫お二人について調査中です。また、軍歴につきましても、確認次第、本ホームページにて更新いたします。
万歳三唱!
大正2年(1913)年10月23日
佐賀県(現在)多久市にて、父作太郎、母ミツとの間で、四人兄弟の末っ子として生を受ける。
どのような経緯で帝国海軍に奉職されたのかについて現在調査中。
昭和18(1943)年9月12日
中尾ヒロと結婚。一女もうける(名は恵子)。
昭和19(1944)年11月25日 午前1時15分頃
サブタン島アハウ岬南西5km地点付近(北緯20度14分 東経121度50分)にて、アメリカ合衆国海軍潜水艦アトゥル(USS Atule, SS-403)号の攻撃により戦死。
彌五郎丸家の血脈は長男を中心に続いている。
戦後、どのような経緯か不明であるが、一人娘の彌五郎丸恵子は養子に出される(養子先の家族姓は不明)。高校卒業後、結婚(古賀恵子)、久留米市に在住し、娘二人(彌五郎丸保大人命直孫)を生むが、現在、全員行方不明の状況。
本日、一般社団法人日本令和研究所ご一行様が、弊堂までお越しになられました。
日本令和研究所は、日本国における皇位継承に伴う諸儀式、特に大嘗祭に関する情報の収集、調査、皇室に関する制度及び法律とその運用に関する分析など、大変貴重にして大切な研究をなされております機関です。
今回は令和5年台湾研修の一環としてのご訪問です。
安倍元首相銅像への献花、紅毛港保安堂の主神であります高田又男艦長麾下144柱の英霊へのご参拝などを通して、台湾と日本の過去、現在、そして未来に向けて、伝統を基とした将来図について、意見交換できました。
お越しいただきまして本当にありがとうございました。是非また、保安堂までいらっしゃってください!いつでも大歓迎です!
本日朝九時、茨城県より大勢の日本観光団体ご一行様が、弊堂までお越しになられました。
安倍元首相銅像への御献花、そして保安堂の歴史、「海府大元帥」御縁起、台湾と日本の深いつながりについて熱心にお聴きになられました。
台南に鎮座しております「飛虎将軍」様は、茨城県水戸の英雄でした。保安堂と飛虎将軍廟との繋がりは特にありませんが、共に台湾と日本を繋ぐ橋として、更に努力していきたいです。
お越しいただきまして本当にありがとうございました。是非また、保安堂までいらっしゃってください!いつでも大歓迎です!
「感謝の心」「思いやりの心」「自立の心」…日本はもとより世界の倫理道徳の研究をはじめ、人間、社会、自然のあらゆる領域を考察し、人間がよりよく生きるための指針を探求する財団法人モラロジー道徳教育財団、日本國千葉県にあります麗澤大学の廣池幹堂理事長様、同教育財団広報局局長濵島直隆様、そして学生有志23名が2月22日、お越しになりました。
台湾と日本の永遠なる友好を追い求めた安倍晋三元首相の御遺志を慕い、弊堂までお越しいただきましたこと、これ以上嬉しいことはございませんでした。
廣池幹堂理事長様、濵島局長様、学生の皆様に保安堂の歴史、台湾における「日本精神」についてお話をすることができました。両国を繋ぐ心は、麗澤大学の若き学生の情熱によって更に深まることを願ってやみません。
どうか皆様、いつでも台湾までお越しください!保安堂はいつでも皆様を応援いたします!
春節の大切な日、不肖、この蓬、そして保安堂の神々やお友達の公式漫画を描いていただいております、漫画家のぐりあん先生(写真右)がお越しになりました!
「近所の寄り合いに顔を出す」いつもの感じで、日本からいつもヒョイといらっしゃる行動力に驚かされます。
理事長らに共に、保安堂に祀られている英霊144柱ご遺族ご親族捜索の経過報告(佐賀県、沖縄県への調査を初夏頃に行うとのことです)、保安堂祭礼に関するご助言、その他多くの打ち合わせが行われました。
その後、保安堂特製魯肉飯に舌鼓されました。
あたしが「見えた」ことで、ぐりあん先生が保安堂と深い関係を…不思議な不思議なご縁です。
1月26日午前九時、日本国埼玉県慰霊団ご一行様、保安堂までご来訪ご参拝のためお越しになられました。
安倍元首相銅像への御献花、保安堂内ご見学、海府大元帥145柱英霊へのご参拝をなされました。
そういえば弊堂信徒の一人が昨年、千葉県護国神社まで参拝しましたが、宮司様より暖かい御歓迎の言葉をいただき、多くのお話をお聴きすることができました。機会がありましたら、弊堂より改めまして公式参拝できればと考えております。
遠い所より、お越しいただきましてありがとうございました。どうかまた、お越しください!