歡迎光臨!「国防を考える会」の皆様!

長年、日本におきまして、国防への関心・知識を高め、その重要性を認識し、日本の平和と独立を守る自衛隊の活動を支援を目指すボランティア団体、「国防を考える会」の皆様が、弊廟までお越しになりました!

「台湾有事は日本の危機」

亡き安倍晋三元首相が訴えたこの言葉は、日に日に現実味を帯びてきております。極東アジアだけでなく、全世界の平和と秩序、自由主義世界における国防意識は、台湾日本両国において重要であります。それを再確認する旅として、遠い所より皆様、お越しいただきました!

更に今回、海府大元帥に対して、古式に則り、神道による御祈祷が行われました。

高橋忠義会長による、海府大元帥、英霊への感謝のお言葉をいただきました。

その後、ささやかながら共に食事をいたしました。

今、この極東アジアにおいて、台湾日本、この両国は自由を守る、最前線におります。

野蛮な恐怖と独裁に立ち向かう勇気が求められています。

海府大元帥麾下145柱、大東亜戦争において護り、戦い、傷つき斃れた英霊たちの想いを再び、呼び起こす時が近づいています。

至誠

記憶

感謝

そこから

希望

勇気

未来

へと繋がります。

皆様、またいつでもお越しください!

歡迎光臨!萩生田光一自由民主党幹事長代行ご一行様!

12月23日、萩生田光一衆議院議員、日本國自由民主党幹事長代行ご一行様が、弊廟までお越しいただきました。

賴清德総統、陳其邁高雄市長らまで公式訪問された後、大変ご多忙の中、弊廟までお越しいただきましたことは、台湾全土の報道で取り上げられました。その一部を下記にて。

既にご存じの方も大勢いらっしゃると思いますが、今年4月に首相になられる直前、高市早苗首相は弊廟を訪れております。

安倍晋三首相のご遺志を引き継ぐ日本の皆様に対して、私たちは何を以て応えれば良いのだろうかと、常日頃考えております。

昨日の日本保守党の皆様、毎日、日本から弊廟までご参拝される大勢の日本の皆様に対して、私たちはどう行動を以て、御礼を伝えなければならないのか、自問自答しております。

昭和19年11月25日、バシー海峡にて散華され、神として台湾日本両國の前に現れた海府大元帥とその麾下145柱の英霊。

李登輝総統から日本本来の精神とは何かを学び、世界の孤児だった台湾の手を握り、引き揚げてくれた安倍晋三首相の御遺徳。

至誠

記憶

感謝

私たちはこれら三つの言葉を護っていきます。

お越しいただきましてありがとうございます。

2025年 大慰霊祭(回蓬忌)開催!

本年も大慰霊祭(回蓬忌)の日がやってまいりました!台湾全土、日本各地より大勢の賓客が来訪されました!台湾政府、日本国政府、地方自治体からも!

今年初めに、海府大元帥、高田又男艦長のご子息であります高田鳴海先生がお亡くなりになりましたが、お孫のお二方がお越しになりました。

そしてなんと!今年は高田艦長と同じ熊本縣出身で、熊本県のご協力より見つかりました、一番砲砲員長上等兵曹の濱寅一大人命の御親族様、弊廟公式漫画家で小蓬を描いていらっしゃるぐりあん先生が見つけました沖縄縣出身、二番機銃長 上等水兵 島袋好雄大人命と、一番投射機三番 上等水兵 久場真徳大人命の御親族様、また発見に至るまで多大なご協力いただきました皆様をご招待することができました!

開会に際し、靖国神社より宮司様らより、祝詞奏上が行われました。

弊廟主任委員である張義男より、昭和19年11月25日に散華された145柱への追悼、海府大元帥発現から始まる数々の奇跡、そして何より、台湾と日本の絆への昇華、そして安倍晋三元首相の悲劇的な死を乗り越え、高市早苗首相と日本人に松明が引き継がれたことへの応援をあげられました。この様子は、台湾の多くのメディアに中継されました。

「慰霊祭」と書きますと、どうしてもしめやかなものを想像しがちです。

しかしながら、弊廟として、いえ、台湾人として、「神様」が現れたことへの喜びが遥かに勝っております。

81年前、フィリピン・サブタン島沖合で、若き勇敢な海軍将兵が一瞬にして戦死したのは悲劇です。それは間違いないことです。

でも、その瞬間、歴史を通して、台湾と日本を繋ぐ、台湾と日本がお互いの手と手を取り合い、抱擁できる「神様」が生まれた「奇跡」にこそ、大いなる喜びがあります。

海府大元帥、麾下145柱の神々が生まれたことに、感謝感謝感謝です。そして、その神々のご子孫、ご親類がこうして弊廟にお集まりいただいたことの「奇跡」に、感涙しかありません。

安倍晋三記念公園の鳥居から、御神輿に載せられ、鳥居をくぐり、海府大元帥が「帰還」しました。

至誠

記憶

感謝

弊廟はこれからも、永遠に台湾日本を繋ぐ、この三つの言葉を護り続けていきます。

歓迎光臨!日華(台)友好親善慰靈團 

11月23日。本年も、日華(台)友好親善慰靈團が弊廟までお越しになりました。

戦死された英霊145柱のため、毎年、台湾全土、台湾と日本の縁深い聖地を巡られる皆様にただただ感謝しかございません。

今年もまた、悠久の大義のために命を捧げた英霊への感謝としての祝詞奏上が行われました。

また慰霊団の中に、第38号哨戒艇に搭乗していましたが、病気により最後の出航前に下船された方が御父上の市議会議員様より貴重な情報をいただくことができました。後日、詳細をお伺いに、弊廟よりご挨拶に上がる予定です。

今回は予定の調整が難しく、大慰霊祭へのご出席はできませんでしたが、来年は是非とも、お越しください!

【信号員長 上等兵曹】御厨吉士大人命

大正4(1915)年
佐賀県本庄町鹿子にて四人兄弟の次男として生まれる。御厨家は地元名家で大地主。
ご遺族様からの情報を整理すると:

尋常小学校卒業後、佐賀市立佐賀商業学校(現在の佐賀県立佐賀商業高校)乙種に入学。
卒業後、地元問屋に入社したが、何か思うことがあり、16歳の時に佐世保鎮守府・佐世保海兵団に入団。職業軍人としての道を歩み始める。

佐世保鎮守府にて奉職、途中、通信兵になることを選び、横須賀鎮守府・海軍通信学校、高等科練習生として入学。卒業後、信号員(手旗信号、国際信号旗、灯火発光でのモールス信号などを担当する)としてキャリアを重ねる。艦名は不明だが、上海事変にも参戦。

既婚者。妻と息子一人(戦後養子となり、株式会社戸上電機製作所社員)。残念ながら、妻は終戦翌年に肺結核で死亡、息子も昭和三十年代に肺癌で死亡。孫二人いるようだが、情報なし。

享年29歳。

大慰霊祭に向けて、聖壇を改めました

左から

高江洲盛善大人命 沖縄県沖縄市越来出身
是枝長一大人命 山口県防府市出身
神保一義大人命 栃木県日光市出身

海府大元帥 高田又男大人命 熊本県熊本市出身

彌五郎丸保大人命 佐賀県多久市出身
森謙治大人命 (出身地調査中)
島袋好雄大人命 沖縄県伊江島出身

彼らは歴史です。
彼らは伝説です。
彼らは神話です。

80周年 終戦記念日

この度、熊本縣よりご招待を受け、弊廟は同県戦没慰霊祭に公式参拝することができました。海府大元帥である高田又男艦長のご出身は熊本縣、そして一昨年、ご子息様の高田鳴海先生を弊廟までご招待しましてから、深いご縁を深めて参りました。

高田鳴海先生のお墓参りをし、御家までご挨拶にあがりました。
ご生前、高田先生より強くご希望されました、残り144柱の英霊のご遺族様を探すプロジェクトの報告、これからの活動、大慰霊祭への御招待などについて歓談しました。

その後、熊本縣護国神社まで参拝し、ささやかではありますが、弊廟より慰霊の献灯を行いました。

台湾と日本…この二つの國を繋ぐ「灯」を、強く、大きく、輝かしくさせていきます。そして世代を超えて、「引き継ぐ」ことで、永遠に「記憶」されますことを。

【一番投射機三番 上等水兵】久場眞徳(得)大人命

久場家トートーメ(久場兄弟以外は個人情報から消しております)

大正11年生まれ(正確な月日は不明)。古宇利島出身、父 久場眞孝様、母 ツル様の間、姉一人、五人兄弟の四男として生まれる。

大変残念なことに御遺影など確認できず、帝國海軍海兵団(佐世保鎮守府の可能性大)入団年、正確な享年(21歳?22歳?)などの諸情報無し。

ただし、弟(五男)眞五郎大人命は兄 久場眞徳(得)大人命同様、帝國海軍に奉職していた。下記、眞五郎大人命の御遺影。また、次男 久場眞次郎大人命は帝國陸軍にて兵役、沖縄戦で戦死。

久場眞五郎大人命御遺影

現在、豊見城市において、久場様ご一家ご長男、眞市様が御位牌(とぅとぅめ)をお祀りしている。

安倍紀念公園完成間近

皆様の御浄財により建設を進めております、安倍晋三首相紀念公園、完成間近となりました。本当に皆様、感謝に感謝の言葉、尽くしきれません。

御浄財をお納めいただきました皆様のお名前を公開します!

第一回 沖縄縣表敬訪問報告

2025年1月15日~1月20日、昨年、公認漫画家ぐりあん先生が見つけました、海府大元帥麾下、島袋好雄大人命(33番 二番機銃長 上等水兵 伊江村出身)並びに高江州盛善大人命(125番 焚火員 機関兵長 沖縄市越来出身)のご遺族様までご挨拶、本年11月に開催予定の大慰霊祭への御招待、そして何らかの形での交流の可能性を見出すべく、第一回沖縄縣表敬訪問を行いました。

到着後、直ちに沖縄縣護国神社まで昇殿参拝しました。沖縄縣でのご遺族様発見の報告、並びに御神幟二振りを奉納しました。加治宮司はじめ、深く深く御礼を申し上げました。

翌日、島袋好雄大人命の生地、伊江島まで向かいました。伊江村役場に入り、内間常喜副村長まで表敬訪問致しました。伊江島から出征し、バシー海峡に17歳で散華した島袋好雄大人命のことを知る人は殆どいませんが、しかしながら台湾において、神様としてお祀りしておりますことを説明し、御神幟はじめ、台湾からの御礼品を捧げることができました。

アラ浜を望む、阿良の御嶽に参拝しました。
この御嶽は、島民が島から出る時、島に帰る時、必ず真っ先に参拝する大切な聖地です。無論、島袋好雄大人命も出征の日にここを参拝し、佐世保海兵団まで向かいました。
ご想像できますでしょうか…国民学校を卒業した少年が一人、ここから旅立ち、二度と帰ってこなかったことを…。

そして島袋好雄大人命のとぅとぅめ(位牌)に拝礼、み霊の御帰還が実現できました。

ご遺族様に御神幟、台湾からの御礼品をお贈りしました。

琉球新報の記者様がご同行され、翌日、同誌にて報道されました。

翌日、沖縄市越来まで、高江州盛善大人命の御遺族様まで表敬訪問…の予定でしたが、何故か連絡が取れず、残念な結果になりました。
越来自治公民館を通して、引き続き、ご遺族様と連絡を取るようにいたします。

沖縄縣より出征されました海府大元帥麾下の部下は八柱です。現在と違い、当時は佐世保海兵団まで片道一週間必要でした。

彼らは帰る事なく、親族とも会えず、皆、バシー海峡の華となりました。

どうか記憶して欲しい。

彼らが家を出た時と同じ光景が、今も広がっていることを。