「海府大元帥」の御顕現

1968年(民国57年)、信仰篤い漁師の蘇氏が紅毛港沖合まで漁をしてた時の事…網を投げ入れ、魚がかかるまで暫く昼寝をしていたところ、不思議な夢を見ました。

洋上に巨大な「海府尊神」が出現…その出で立ちは大日本帝国海軍の艦長そのものでした…そして船上の蘇氏に対し、自分のために祠を建て替えて欲しいと託宣されました。

私が示す場所にある海亀の産卵穴に、廟を建てよ」…と。

驚き目を覚ました蘇氏はすぐさま港に戻り、夢の内容を紅毛港の道観や寺院、長老たちに伝えます。あまりにも不思議な夢の内容に、皆半信半疑でしたが、海に出現した「海府尊神」の御言葉通りに海亀の産卵穴が発見され、漁師たちは本格的な廟を建設することにしました。

さて、台湾では廟や道観を建てる際、設計段階で神様に一つ一つ、逐一事細かいところまでお伺いを立て、建設を進めていきます。その建設方法は同じように行われました。

筊や扶箕などの占いを通して、「海府尊神」がお望みになるデザイン、壁画、その他について丁寧に訊ね、設計し、建設が行われました。

しかしながらその内容に、地元民は全員、首をかしげました。一般的な道観の要素が殆ど見られない建築デザインだったからです。台湾らしい要素はなく、日本の意匠(海軍旗、菊、桜、富士山など)を感じさせるものになっていきました。「海府尊神」とは誰なのか、誰もが不思議に思いました。

海府大元帥 第三十八号軍艦