漁師町「小港區」の祠として

オランダ王国による台湾統治期(1624年~1661年)、打狗(高雄)は重要な軍事、貿易拠点として開発が始まりました。その一角、高雄潟湖(高雄市南西部)の南岸に「港仔墘」が建設されました。
鄭氏統治期に(1661年~1683年)一帯は開墾開発…高温多雨な地域で良い漁場があり、半農半漁で活気ある町として発展を遂げ、日本時代には行政区として「小港區」に改称されました。そして町の前に広がる湾は、「紅毛港」と呼ばれるようになりました。

保安堂の縁起につきまして、記録に残されています。

昔も今も小港區は大変信仰に篤い地域です。大小さまざまな道観(道教寺院)、仏教寺院、日本時代には神社が多く建立されました。保安堂もその中の一つです。

1923年(大正12年)、ある漁師が沖合で網にひっかかった人間の大腿骨を拾い上げ、供養を兼ねて神様として祀るために、小さな祠を建立しました。神様の御神名は「郭府千歳」…これが保安堂の始まりです。

1930年代(正確な年は不明)、小港區で身寄りのない老人(姓は陳、名は不明)が亡くなり、憐れんだ地域住民は保安堂に神様として祀るようになりました。この時、この老人に与えられた御神名は「宗府元帥」です。

小さいながらもその後、祠は住民により篤く尊崇されていきます。

そして1946年(昭和21年)に、不思議な出来事が起こります。

「不思議な頭蓋骨、奇跡のはじまり」に続く