【神様の息子】 高田鳴海先生 20230806 保安堂、そして海へ

本日、2023年8月6日、海府大元帥様であります高田又男艦長のご子息、高田鳴海先生が保安堂までお越しになられました。

高田鳴海先生

新型コロナウィルスが完全収束していない状況のため、保安堂ボランティア、地元有志だけですが、先生、ご令嬢様、ご親類ご縁者様をお迎えすることができ、大変大きな盛り上がりとなりました。

高田鳴海先生、ご親類様

地元メディアはじめ、熊本県民テレビなど日本からの報道関係もあり、「神様の息子」を大歓迎する空気に包まれました。

一連の儀式、歓迎会の後、保安堂一同は高田鳴海先生を高雄港までご案内しました。

そして英霊達に向け、花と酒を捧げることができました。

79年目にして、海は再び静かに、平和にその波音をたてることができました。

高田鳴海先生、本当にありがとうございます。どうかまた、保安堂までお越しください。

歡迎光臨!謝長廷大使、康裕成議長 20231020ご訪問

2023年10月20日、台湾国駐日代表であります謝長廷大使と、高雄市議会康裕成議長が保安堂までご参拝のため、お越しになりました。

(左、謝大使。右、康議長)

謝大使は日本における「台湾の顔」として2016年より、台北駐日経済文化代表処駐日代表(大使館大使)として長らく二か国の大橋としてご活動されていらっしゃいます。実は国費奨学金として京都大学大学院法学研究科まで学ばれ、1998年から2005年まで高雄市市長として御奉職されてました。

康議長は2010年より高雄市議員として4期目、2014年に高雄市における初の女性市議会議長となられた方です。

保安堂主三神へのご参拝、安倍元首相銅像へのご献花をされました。特に昨年の銅像除幕式と同時に奉献されました「駆逐艦蓬 / 第三十八号哨戒」の第二御神艦像の詳細な再現について、大変興味深く説明を聴かれました。

混迷する外交状況において、日本と台湾を繋ぐ精神的「港」としての保安堂の活動を期待するとのお言葉をいただきました。また、日本各地の空港と高雄国際空港とのルートが今後大きく増便することから、保安堂では大使、議長からの激励から、高雄市の魅力を広く伝え、日本台湾の友好を深めていくこと意志を新たにしました。

歡迎光臨!福岡台援隊 20231023ご訪問

2023年10月23日、台湾を支援し、台湾と九州の自治体交流を進めるなどの活動に取り組む福岡台援隊が保安堂までお越しになりました。

今年で発足5周年の福岡台援隊、日本と台湾の友好を深め、台湾の中に残されている日本の情景と精神を見出し、台湾における多くの偉人先人の足跡を辿る旅を行っておりますが、この度、安倍元首相銅像へのご献花をはじめ、保安堂青年局との交流、海府大元帥であらせられます高田又男艦長はじめ、145柱の英霊へのご参拝されました。

(安倍元首相銅像との記念写真)

(保安堂青年局との記念写真)

福岡台援隊では現在、台湾に身を捧げた日本人の研究と報告会を開催しております。国共内戦で古寧頭戦役を勝利に導いた根本博中将、日露戦争で諜報活動に従事し、戦後、第七代台湾総督となった明石元二郎などについて、多くの発表をされております。とりわけ明石元二郎については、福岡県生まれということに運命を感じ、台湾をこよなく愛したこの偉人を通して、更なる友好を深めていきたいとの祈りを、保安堂にて捧げられました。

どうかいつでも、またお越しください。

【艦長(艇長)】高田又男大人命

明治39(1906)年11月4日
   熊本県生まれ。青木家(※)。
大正14(1925)年5月1日  
   東京高等商船学校入学(航海科90期)
   同日  海軍予備生徒。 在学中、大成丸第38次遠洋航海に参加。
昭和4(1929)年1月8日~3月31日
   大成丸第39次遠洋航海に参加 (東京発~ヤルート~トラック~東京着)。
同年6月29日~10月13日
   大成丸第40次遠洋航海に参加 (東京発~ヤルート~トラック~東京着)。
昭和5(1930)年12月15日卒業
   東京高等商船学校卒業、近海郵船(日本郵船関連会社)入社。 
   甲種船長海技免状所持。
   東亜海運(現在の東亜海運とは別会社)設立後に移籍。
   熊本市出水町國分府617 に居を構える。
昭和7(1932)年10月
   一時的に東京都に赴任(淀橋区上落合2-689に居を構える)。
昭和12(1937)年7月1日
   予備中尉を拝命。
昭和13(1938)年3月22日
   補第4艦隊司令部付となる。
同年6月
   高田家の養子となる、以後、高田姓(※)。
同年12月1日
   補馬公防備隊付となる。
昭和17(1942)年3月16日
   予備大尉を拝命。
同年3月20日
   補第2日の丸砲艦長を拝命。
昭和18(1943)年4月1日
   佐世保鎮守府付被仰付となる。
同年6月20日
   補第38号哨戒艇長拝命。
昭和19(1944)年11月25日 午前1時15分頃
   サブタン島アハウ岬南西5km地点付近(北緯20度14分 東経121度50分)にて、アメリカ合衆国海軍潜水艦アトゥル(USS Atule, SS-403)号の攻撃により戦死。


戦死後、海軍少佐昇進。正七位 瑞宝単光章、賜2級俸。

(※)
生家の青木家と、30歳の時に養子となった高田家は双方ともに、熊本・細川藩重臣の家系で、殿様の殉死を許された極めて高い格式地位の家系です。