もはや保安堂にてお馴染みとなりました、軍事ジャーナリスト井上和彦先生が23名様の方々と共にお越しいただきました。
安倍晋三元首相慰霊銅像のご説明、また弊堂に祀られております海府大元帥、そして台湾と日本を繋ぐ架け橋としての保安堂の使命について、熱く語っていただきました。
二つの国は運命を共にする、家族を超えた何かで結ばれています。先生のご説明ご案内は、弊堂を奮い立たせるものであります。
もはや保安堂にてお馴染みとなりました、軍事ジャーナリスト井上和彦先生が23名様の方々と共にお越しいただきました。
安倍晋三元首相慰霊銅像のご説明、また弊堂に祀られております海府大元帥、そして台湾と日本を繋ぐ架け橋としての保安堂の使命について、熱く語っていただきました。
二つの国は運命を共にする、家族を超えた何かで結ばれています。先生のご説明ご案内は、弊堂を奮い立たせるものであります。
令和6年4月14日、佐賀県におきまして、海府大元帥麾下、砲台部下士官 上等兵曹であります彌五郎丸保大人命のご親族様を正式に確認することができました。
昨年の高田鳴海先生のご来訪から、私共紅毛港保安堂では、残り144柱のご遺族様、ご親類様、ご縁者様を一人でも多く探し出し、弊堂までお迎えしたいとの大願を立てました。
あれから半年弱経過しましたが、昨今の個人情報保護法、そして戦後の長い年月から、ご関係者様の高齢化などの諸問題から、なかなか前に進むことができませんでした。
その中で、弊堂公認漫画家でありますぐりあん先生が、特別なルートなどから独自に調査され、今年頭に「もしかしたら…」という情報を得られ、日本経済大学准教授久野潤先生、佐賀県護国神社まで確認したところ、その可能性が一気に高まり、今回訪問されて、最終的に直接のご遺族ではありませんでしたが、深いご親類であることが確認された次第です。
なお、彌五郎丸保大人命の一人娘であります古賀恵子様(久留米市在住?)と、孫お二人について調査中です。また、軍歴につきましても、確認次第、本ホームページにて更新いたします。
万歳三唱!
大正2年(1913)年10月23日
佐賀県(現在)多久市にて、父作太郎、母ミツとの間で、四人兄弟の末っ子として生を受ける。
どのような経緯で帝国海軍に奉職されたのかについて現在調査中。
昭和18(1943)年9月12日
中尾ヒロと結婚。一女もうける(名は恵子)。
昭和19(1944)年11月25日 午前1時15分頃
サブタン島アハウ岬南西5km地点付近(北緯20度14分 東経121度50分)にて、アメリカ合衆国海軍潜水艦アトゥル(USS Atule, SS-403)号の攻撃により戦死。
彌五郎丸家の血脈は長男を中心に続いている。
戦後、どのような経緯か不明であるが、一人娘の彌五郎丸恵子は養子に出される(養子先の家族姓は不明)。高校卒業後、結婚(古賀恵子)、久留米市に在住し、娘二人(彌五郎丸保大人命直孫)を生むが、現在、全員行方不明の状況。
本日、一般社団法人日本令和研究所ご一行様が、弊堂までお越しになられました。
日本令和研究所は、日本国における皇位継承に伴う諸儀式、特に大嘗祭に関する情報の収集、調査、皇室に関する制度及び法律とその運用に関する分析など、大変貴重にして大切な研究をなされております機関です。
今回は令和5年台湾研修の一環としてのご訪問です。
安倍元首相銅像への献花、紅毛港保安堂の主神であります高田又男艦長麾下144柱の英霊へのご参拝などを通して、台湾と日本の過去、現在、そして未来に向けて、伝統を基とした将来図について、意見交換できました。
お越しいただきまして本当にありがとうございました。是非また、保安堂までいらっしゃってください!いつでも大歓迎です!
本日、台湾時間4月3日午前7時58分ごろ、台湾東部海域でマグニチュード(M)7.2の地震が発生しました。
震源に近く、震度6強を観測しました東部・花蓮を中心に多数の死傷者が出ており、被害は拡大する可能性があります。
高雄市、紅毛港保安堂におきまして被害は特にございません。
しかしながらこの悲惨な状況に際して、一丸となって助けられることを進めていく所存です。
大家報平安。