潮音寺・バシー海峡戦没者慰霊祭実行委員会に表彰状

海󠄀軍大學校󠄁台湾・高雄で外務大臣表彰式 バシー海峡戦没者慰霊祭実行委員会などに表彰状

日本の対台湾窓口機関、日本台湾交流協会は16日、2024年度外務大臣表彰の授賞式を南部・高雄市内で行い、バシー海峡戦没者慰霊祭実行委員会と潮音寺管理委員会に対して同協会の奥正史高雄事務所長が表彰状を手渡した。日本と台湾との相互理解の促進に貢献したことが評価された。

両団体はいずれも台湾の南のバシー海峡で第二次世界大戦中に命を落とした戦没者の慰霊に取り組んでいる。交流協会によれば、潮音寺管理委員会は慰霊施設として1981年に建立された潮音寺を管理している。遺品の管理や展示なども行い、バシー海峡での惨劇を後世に伝えている。慰霊祭実行委員会は2015年に台湾在住の日本人らによって設立。潮音寺管理委員会と共同で慰霊祭を開催してきた。

潮音寺管理委員会の鍾佐栄委員長はあいさつで、真に表彰を受けるべきなのは寺を建立した故人の中嶋秀次さんだと言及。戦時中にバシー海峡で12日間漂流した末に生還した中嶋さんが、救助されるまでの間に聞こえた仲間たちの助けを求める声を30年以上忘れられず、慰霊のために寺を建立したと説明した。

慰霊祭実行委員会の渡辺崇之委員長は、特殊な外交問題などを背景に、日本政府はバシー海峡でのみ慰霊祭を行うことができていないとした上で、同委員会が外務大臣表彰を受けたことはバシー海峡における戦没者が初めて国に認められた証明のようなものだとコメント。バシー海峡の存在すら知らない日本人が未だに多いため、委員会の使命はまだ道半ばだとの考えを示した。

今年の慰霊祭は17日に屏東県の潮音寺で行われたという。(フォーカス台湾より転載)

哨戒艇38号(駆逐艦蓬)、海府大元帥麾下145柱が眠るバシー海峡。保安堂にとりましても、ご縁あります潮音寺・バシー海峡戦没者慰霊祭実行委員会のこのたびの表彰、深くお祝い申し上げます。

表彰式に保安堂も参加いたしました。

バシー海峡に眠る英霊をいつまでも…。

歡迎光臨!政策研究大学院大学ご一行様

2024年11月17日、日本國はじめ、国際政治や政策などを研究し、未来のリーダーを育てる政策研究大学院大学から先生学生研究員の皆様が、保安堂までお越しになられました。

大変お恥ずかしい話、保安堂では存じ上げておりませんでしたが、選りすぐりの日本国政府、現役の官僚、都道府県・政令指定都市の地方公務員が中心となり、政策研究をされ、将来の日本を指導し、周辺諸国との外交を進めるエリート養成校だったのですね!かつて日本にありました海󠄀軍大學校󠄁の現代版でありましょうか。素晴らしい皆様方とお会いできましたこと、光栄であります!

歡迎光臨!宮崎県県庁ご一行様

2024年11月17日、日本國宮崎県県庁ご一同様が保安堂までお越しになられました!

来月2日、台中市と宮崎県が宮崎県台中市友好交流協定を締結するのを機に、より深く台湾國を調査すべく、特別チームが編成され、台湾各地をご訪問、その折に保安堂までお越しになりました!

そういえば、高雄市は熊本県とも協定を結んでますし、これからも多くの友好交流協定が結ばれることでありましょう!どうか何度でも遊びに来てください!

歡迎光臨!全美台湾同郷会

2024年11月17日、アメリカで活動されております在米台湾人団体、全美台湾同郷会が保安堂までご参拝にお越しになられました。

実は13日に台湾まで里帰りされ、総統府など表敬訪問され、台湾各地まで巡られておりましたが、今回、保安堂までお越しいただきましたこと、一同深く感謝申し上げます!

自由なる台湾、それはアメリカ、日本、自由主義諸国の団結があるからこそ実現できます。本当にありがとうございました!

歡迎光臨!金美齡校長先生、世耕弘成議員!

10月15日、亡き安倍晋三元首相と深い交流をお持ちの金美齡校長先生、そして世耕弘成議員が、保安堂までお越しになりました!
金美齡校長先生今年、御年91歳ですが、元気溌剌の強さに一同、ただただ驚きです!
世耕先生におかれましても、日本での議会活動、大変お忙しい中、本当にお越しいただきましてありがとうございます!
1995年4月17日、下関条約締結百周年記念集会より、保安堂と長らくご交流いただいております。

【焚火員 機関兵長】高江州盛善大人命

大正12(1923)年5月20日、沖縄県中頭郡越来村字越来にて、父松榮、母カマの間で、三人兄弟の次男として生を受ける。ここから戦死時、享年21歳。
どのような経緯で帝国海軍に奉職されたのかについて現在調査中であるが、尋常小学校卒業後に佐世保鎮守府海兵団に入団。
この写真の裏に、昭和17年4月21日、「鎮海防備隊」所属と記されている。

長男は若い時に亡くなっており、現在、三男が英霊の位牌(とぅとぅめ)を祀られている。

【二番機銃長 上等水兵】島袋好雄大人命

大正15(1926)年12月15日、島袋久榮様の長男として、沖縄県国頭郡伊江村字西江前65番にて生まれる。
島袋久榮様は島袋好雄大人命が御幼少の頃、兄の島袋鎌助様に預け、フィリピンまで事業家として渡航(同地で事業に成功)。その後、島袋鎌助様は島袋好雄大人命を養子として迎えた。

当時を知る、従兄弟様(島袋大人命出征時の記憶あり)曰く、国民学校卒業後海軍に志願、佐世保鎮守府の海兵団に入る(義父島袋鎌助様の元、昭和16年に入団)。

なお、実父久榮様はその後、大東亜戦争において、フィリピンにて戦火に巻き込まれ、死去。

現在、同村において、甥の島袋良夫様ご家族様が御位牌(とぅとぅめ)をお祀りしている。

享年17歳。

歡迎光臨!日本國衆議院杉田水脈議員ご一行様 2024/8/28ご訪問

台湾と日本、極東アジアにおける自由と民主主義を護持する二国家の永遠なる絆を追い求めたが、凶弾に斃れた安倍晋三元首相…その御遺志は、両国の国民の中に強く雄々しく引き継がれております。

8月28日、日本国衆議院議員の杉田水脈議員が、保安堂までお越しになられました。

詳細につきまして、杉田議員がご自身のTwitterにてご報告されております。まるで、議員ご一行様を安倍さんが歓迎してくださるかのように、大変美しい夕日が保安堂全体を包みました。

また、杉田議員にとりまして、懐かしい再会などもありました。

台湾と日本は、家族なのです。

またのお越し、お待ち申し上げます。多謝!

夏季大祭

保安堂は神道式の礼拝も行いますが、元来は台湾道教の寺院です。台湾版のお盆「鬼月」も過ぎ、夏季大祭を滞りなく執り行うことができました。

こうして観ますと、台湾らしいでしょ?