
2024年11月17日、アメリカで活動されております在米台湾人団体、全美台湾同郷会が保安堂までご参拝にお越しになられました。
実は13日に台湾まで里帰りされ、総統府など表敬訪問され、台湾各地まで巡られておりましたが、今回、保安堂までお越しいただきましたこと、一同深く感謝申し上げます!
自由なる台湾、それはアメリカ、日本、自由主義諸国の団結があるからこそ実現できます。本当にありがとうございました!

私たちは、紅毛港保安堂の神々・英霊のご遺族を探しています

2024年11月17日、アメリカで活動されております在米台湾人団体、全美台湾同郷会が保安堂までご参拝にお越しになられました。
実は13日に台湾まで里帰りされ、総統府など表敬訪問され、台湾各地まで巡られておりましたが、今回、保安堂までお越しいただきましたこと、一同深く感謝申し上げます!
自由なる台湾、それはアメリカ、日本、自由主義諸国の団結があるからこそ実現できます。本当にありがとうございました!

10月15日、亡き安倍晋三元首相と深い交流をお持ちの金美齡校長先生、そして世耕弘成議員が、保安堂までお越しになりました!
金美齡校長先生今年、御年91歳ですが、元気溌剌の強さに一同、ただただ驚きです!
世耕先生におかれましても、日本での議会活動、大変お忙しい中、本当にお越しいただきましてありがとうございます!
1995年4月17日、下関条約締結百周年記念集会より、保安堂と長らくご交流いただいております。

大正12(1923)年5月20日、沖縄県中頭郡越来村字越来にて、父松榮、母カマの間で、三人兄弟の次男として生を受ける。ここから戦死時、享年21歳。
どのような経緯で帝国海軍に奉職されたのかについて現在調査中であるが、尋常小学校卒業後に佐世保鎮守府海兵団に入団。
この写真の裏に、昭和17年4月21日、「鎮海防備隊」所属と記されている。
長男は若い時に亡くなっており、現在、三男が英霊の位牌(とぅとぅめ)を祀られている。

大正15(1926)年12月15日、島袋久榮様の長男として、沖縄県国頭郡伊江村字西江前65番にて生まれる。
島袋久榮様は島袋好雄大人命が御幼少の頃、兄の島袋鎌助様に預け、フィリピンまで事業家として渡航(同地で事業に成功)。その後、島袋鎌助様は島袋好雄大人命を養子として迎えた。
当時を知る、従兄弟様(島袋大人命出征時の記憶あり)曰く、国民学校卒業後海軍に志願、佐世保鎮守府の海兵団に入る(義父島袋鎌助様の元、昭和16年に入団)。
なお、実父久榮様はその後、大東亜戦争において、フィリピンにて戦火に巻き込まれ、死去。
現在、同村において、甥の島袋良夫様ご家族様が御位牌(とぅとぅめ)をお祀りしている。
享年17歳。

台湾と日本、極東アジアにおける自由と民主主義を護持する二国家の永遠なる絆を追い求めたが、凶弾に斃れた安倍晋三元首相…その御遺志は、両国の国民の中に強く雄々しく引き継がれております。
8月28日、日本国衆議院議員の杉田水脈議員が、保安堂までお越しになられました。

詳細につきまして、杉田議員がご自身のTwitterにてご報告されております。まるで、議員ご一行様を安倍さんが歓迎してくださるかのように、大変美しい夕日が保安堂全体を包みました。

また、杉田議員にとりまして、懐かしい再会などもありました。
台湾と日本は、家族なのです。
またのお越し、お待ち申し上げます。多謝!

保安堂は神道式の礼拝も行いますが、元来は台湾道教の寺院です。台湾版のお盆「鬼月」も過ぎ、夏季大祭を滞りなく執り行うことができました。

こうして観ますと、台湾らしいでしょ?


日本国東京都江東区区議会議員二瓶文隆先生はじめ、保安堂とご縁深い下村社長ご引率拓殖大学関係各位ご一行様が、保安堂までお越しになられました。

拓殖大学の歴史は、台湾の歴史であることは意外と知られていません。明治33年(1900年)、台湾の拓殖経営に資する機関として台湾協会学校が同大学の前身です。新渡戸稲造先生や後藤新平先生などが学長となり、台湾発展の礎を築いた伝統ある大学です。台湾の東呉大学、長栄大学とも繋がりがあります。

どうかいつでもまたお越しください、お待ちしております!

奈良県町村議会議長会長にして、先月五日に近畿府県町村議会議長会長に就任されました新沢良文先生が、我が紅毛港保安堂までお越しいただきました。

奈良県と言えば、台湾にとりまして、永遠の恩義、永遠の朋友であります安倍晋三首相が凶弾に斃れた地です。その奈良より、新沢先生のご来訪は、保安堂のみならず、台湾と日本両国の絆を強固なものにする、意義深いものであるのは確かです。

保安堂の歴史、高田又男艦長、弥五郎丸保兵曹長のご遺族発見、台湾と日本の懸け橋としての使命、そして安倍晋三首相が台湾と日本のために多大なご尽力を果たされたことへの恩義への感謝を、ご説明いたしました。
奈良県と台湾の新たな繋がりへ、どうかまた、いつでもお越しください!

安倍晋三元首相が卑劣な銃弾により暗殺されたこの日、紅毛港保安堂におきましてささやかながら三回忌の慰霊祭を執り行いました。
半旗の元、暗殺された午前11:31(台湾時間10:31)、黙とうを捧げました。
この日、日本からも慰霊参拝の方々がお越しになり、共に合掌しました。台湾と日本を繋ぐ、自由と民主主義の絆、その夢を果たそうとされた「あべさん」の御霊に、涙を捧げるのはごく自然なことです。

二つの國の夢、それはもう間近に現実になろうとしています!